♯2 僕はつま先を揃えて出られる人です

某所のトイレで見つけたこのサンダル。

この、信頼されてんのか恫喝されてんのかわからない感じが絶妙に好きだった。


トイレのサンダルは揃えることに億劫になりがちだ。
自分の家でもない少し不潔な場所を、あえてキレイに使う必要なんてないだろ?という魂胆が見えるような、ひどい散乱を見せるサンダルが公共の場のトイレではよく目撃される。

しかし、今のトイレには冒頭のサンダルのような工夫が他にもある。

サンダルの脱ぎ履きをする場所に、足の裏のシルエットが印刷されたマットをキレイに並べる――これだけだ。

それだけで人間はそのシルエットに合わせてサンダルを脱ぎたくなってしまうのだそうだ。

男子トイレの立ち小便器にも、周囲への尿の飛散を防止するため、便器内の中央に的🎯がプリントされているものもある。


人は自分がその行動を選んだつもりでも、実はいとも簡単に誘導されてしまっていることがある。


昨日、幻灯劇場主宰の藤井颯太郎くんとチェスをした。
彼は非常に頭がキレるので、チェス経験数回の僕は「勝てないまでも負けない」精神で、気楽に臨んだ。

――藤井はわざと僕の駒の攻撃可能範囲にポーンを進めてきた。
そこで僕は「えっ?」となる。
左斜め奥には藤井の進めたポーンがこちらを狙っている。しかし今は僕の番なので、このポーンを取ってしまえばそれで済むのである。だがどうしてわざわざそんな進め方をするのだろうか。
ポーンを取ったあとの伏兵の存在も警戒したが、動線上には何もなく、簡単に取ってしまえる状況に思えた。

僕はさながら狩り場に足を踏み入れる野うさぎのような気分になった。
「この餌、食ってもいい?」

自分の駒は幸いなことに、左斜め奥だけでなくまっすぐ奥にも左横にも進むことができる状態ではあったから、あえて取らずに迂回するルートを選ぶのか、あえて術中に飛び込んでみるのか、気楽に1分くらい考えた。

結局、餌、食いました。

その試合、負けました。


自分の選んだはずの行動が、実は誰かの目論み通りということは往々にしてあることで。
選択肢を用意されないと、そもそも別の活路を選ぶことすらできない。

トランプを使ったマジックを観客として見ているとき、「1枚好きなカードを選んでください」と言われて、 "選ばない" という選択をする人はそうとう破天荒な人間以外にいないはずだ。 
1枚選んでしまい、マジシャンの手さばきをじっと見つめてしまっている時点で、僕らはすでに彼の手中にある。


できればすべて自分で選んで
生きていきたいよなあ。

自分の頭にない選択肢をどうやって生むのか、はたして自分の想像の先を描けるのか。

実はこれ、劇作をするときに一番悩むとこでもあります。想像・選択の限界。

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谷 風作 ( Fūsaku Tani )

調理器具としての僕