長い文章を使って、今年の振り返りをします。

「ゲーム」「英語」「芝居」

これが中学から高校までの
僕を構成する三要素だった。

でもこれら三要素のうち、
今もなお夢中なのは「芝居」しかない。

ゲームは大学3回生からパッタリやめてしまったし(PS3のデータが消えたショック)、英語は大学を出てからというもの外国人観光客への道案内にしか使ってない。

改めて、僕のなかの「芝居」の巨大さに
身が縮こまる思いがするが、
今回振り返りたいのはもう少し外角のお話。

今年はどんな1年だったかと聞かれると、
僕にとってはこれでしかない。

――

中学生のときに生まれた、

「自分は誰なのか」

この圧倒的難問。こいつに対し、

「自分は誰でもないし、
誰かになる必要もない」

と回答を与えられるまでには
相当な時間が掛かった。

それが確信として実感できたのは、
つい最近のことだったからだ。


自分を見いだそうとしていた
中高生の僕にとって「真の自分」とは、

『見えない巨大な不定形の存在』であり
『容易に定めてはいけないもの』であり
『それを探求するための人生』であった。

ところが、最近気づかされたのは、
それはすべて自分を大きく設定しすぎたための迷宮に過ぎず、僕は僕にとって不可視ではないし、巨大でもなく僕と同じ大きさだ。

確かに容易には定めちゃいけないが、
それは老いて死ぬまで変わらずそのまま。

当時の僕は認識が少し間違っていて、
自分を定めることが早熟で浅はかだと思っていた――熟練したオトナになってこそ許される行為だと。
しかし、そもそも決定そのものが禁止されることはない(誰がしてるんだ?)。むしろ、積極的にした方がいい。


「誰でもない自分」を知らずして、
「誰かになる」という努力を
芝居において行うのはそれこそが浅はかだ。

「自分」でない「誰か」は、
おそらく自分でなくてもできるんだな。

「この俳優にしかできない役」という
最高の賛辞が存在するのは、
その俳優が「誰か」である前に「自分」であることをハッキリ自覚しているから。

これに気づいてしまった。
これは恐ろしいことだ。

なぜこんな重大で致命的なことに気づかないまま、僕はお芝居をしているつもりになっていたんだ。

本当にこれは「つもり」の演技をしているに過ぎなかったんだな、と。

恐ろしい自分の仕事に気づいてしまった。


なので、最近になって
自分の同定を始めました。

今まで人生(幼児~現在)で、何をしてきて、何を感じて、どう思考してきたのか。

そして僕の思う僕の長所と短所(自分の思う自分の在り方)を考える。

そのうえで、知り合いに僕の長所と短所(他人の自分を見ている在り方)を聞いて回った。ご協力ありがとう。

最後にそれらを比較して、真実の在り方を炙り出す。

ここまでやって初めて、自分とはどういう人間で、それがどうにじみ出ていて、どう魅力に繋がり得るのか、おおまかな輪郭が見えてきた。

僕と同じ生き方・思考回路をしている人間は絶対にいないので、役を見つめたときの答えの出方(「共通点」と「相違点」の空き方)が他人とは全く異なる結果になる。

ここでやっと自分だけの役が生まれる。


「長所を長所にしか見せない演技」は、
人気がすべてなタレント俳優のする演技。

僕がしたいのは、
「短所を長所に見せる演技」だ。
それこそが俳優のすべき演技だと、今の僕は思っている。 
思えば、僕の尊敬する俳優さんは皆、短所で演技をする。それが魅力的で人間的で強く惹かれるのだ。

この1年で僕は「自分の拡充を行った」と思う。
来年はここからどんな自分が現れるか、我ながらちょっとワクワクしている。


以上、今年の振り返りメモでした。
僕の自己満足を読んでくださり、
本当にありがとうございます。

今年もお世話になりました。
そして来年もよろしくお願いいたします。

谷 風作

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谷 風作 ( Fūsaku Tani )

調理器具としての僕