NOT WORKS

調理器具としての僕


屁をプゥ

電車や建物の個室で、見知らぬ人が屁をプゥとする。わっ!と思う。やがて臭いがのぼってくる。臭い、そりゃもう臭いに決まってるのだが、それに対してただただイヤな顔をするだけというのが、どうも負けた気がしてならない。だから私はそこで、あえて思いっきり鼻から吸ってやる。見よ、貴様の屁は私の中だ!私の勝ちだ!ははは!臭い、そりゃもう臭いに決まってるのだが、それが勝利というもの。わかったか。もうプゥするなよ?無罪放免。

『緑子の部屋』を経て、思ったこと。

今回の『緑子の部屋』というお芝居は、「鳥公園のアタマの中展2」という演劇イベント(と言えばいいのか?)の演目の一つ。主催者・西尾佳織氏の戯曲『緑子の部屋』を葭本未織氏による演出で立ち上げる。8時間ほど公開稽古ののち、上演を始める。これが一日のうちに終始する。西尾氏の語った意図は、「ある芝居を観に行ったときに『さあ、どんなもんか観てやろう』という自分の “消費者的感覚” に気づいた。そうした感覚を排除した演劇はどうすれば作れるのか」という試行錯誤の一環というものだった。公開稽古からの上演を一日というスピードで済ませることで、観客の存在・視線をも創作のプロセスに組み込んでしまおうという企みである。そうして始まった一日、稽古、上演。あっという間な感慨の中、上演後アフタートーク。このアフタートークが、なかなか凄まじい展開となった。西尾氏と葭本氏、演出の手法がまったく違いながらも、お二方とも意識をハッキリと持った演出家かつ脚本家なので、「公的な場で脚本家がその演出意図を問う」という形式を設定するにはハラハラする要素が多少あった。「これは事前に(終演後からアフタートークまでの数分間にでも)質問事項を伝えておくべきだったのでは……?」と感じる一幕も。しかし、その状況を少し楽しんでしまった悪い男がここにいる。とは言っても雰囲気に呑まれ、あまり気の利いたことが発言できなかったので、今文字に起こしてま...